どんなことをするにも薄氷を踏むように慎重にしなければなりません。好き勝手に話をしたり、行動したりせず、智慧を働かせて自分の行為を吟味し、何でも思うままにしていい訳ではありません。今は末法の世で、仏法の衣を着ている人が多くて、自分は仏法に精通していると思って、長年仏法を学んできた人も多くいますが、効果はどうでしょう。本当の菩薩の化身或いは使者なら、仏法によって人を救済するには、大きな慈悲の心を持っていて、必ず護法の神が付いているのです。  実は沢山の経文はとても素晴らしいのですが、時代の移り変わりにつれて、経文を習う方法が変わります。これこそ真実で、正しいものなら受容され、広められるし、菩薩が守るのです。修行には是非正見、正思惟、正念、正定が必要で、そこから般若の智慧が得られるのです。

 地蔵菩薩が「本願経」でこう言っています:「是閻浮提,行善之人,臨命終時、亦有千百悪道鬼神,或変作父母,乃至諸眷属,引接亡人,令落悪道,何況本造悪者(人間界に生きて善を行う人でも、臨終の際、百千もの悪道鬼神がその父母や親戚に姿を変え、亡くなる人を来迎し、その悪道に落とすので、まして本来悪者ならなおさらです)。」つまりこの世の衆生で、沢山の善人は、生涯で大きな善事をした人でも、亡くなる時、百千もの悪道鬼神が父母や親戚に姿を変えてさらって行くのです。実は、幾世前の父母や親戚でも誘惑してさらいにきて、悪道に落とすので、まして悪業の多い人ならなおさらです。

 人間は臨終の時、本当に怖くて辛くなります。それは生きている人には見えないものが見えるからです。多くの鬼神がその人に債務を取り立てに来ているから、辛くて苦しくなっても、言われるままにするしかありません。「亡くなる人を来迎するのは幾世か前の父母、或いは親戚などで、百千もの悪道鬼神に姿を変えて来迎して、善人でもこういう結末になり得るから、まして悪人や悪事を働いた人ならなおさらです。ですから諸悪なすべからず、諸善なすべし、自ら意を清めるべきです。『金剛経』は「修一切善,離一切相(すべての善を修め、すべての相から離れる)」と言っています。「すべての相から離れる」とは、自分の好きなすべてのものから離れることで、表面上ではなくて、心底から離れることです。表面上大切に扱っても、内心では気に掛けないことを心がけることです。たとえば、自分の子供のことが大好きでも、心の中ではあまり気に掛けないことが大切です。子供は大きくなったら独立して仕事について、暮らしていきます。けれども日常では面倒を見てやりますが、心の中では、親離れの時は完全に放したほうが良いです。心の中で相を離れられないのは問題で、表面上の相に執着するのではないことを分かってほしいです。 

 私たちは、呼吸することで生きています。呼吸ができなくなったら終わりです。命が終わる時はどんな名利も持っていけないし、すべて持っていけませんが、ただ業だけが付き添って行きます。そして、生きている間にできた業をそっくりそのまま持っていくのです。ですから、人間は悪業を絶対作ってはいけません。必ず善をすべて行い、大悲心を持ってください。たとえば、道路の向こうから目の不自由な人が杖をついて渡ってきたら、自分の心の中でこう思ってください:離れているけれど、この人を手助けしたいと。この考え一つだけでも善の種を撒いたことになります。遠くの道端に物乞いを見かけたら、その人にお布施をしましょうと思ってください。ただこの考えは確かな考えで、嘘ではない気持ちが大事です。ですから、皆さんは心の底から修めることが何より大切です。修行することは、内面を磨くことで、外面的なことではありません。お寺はどこでもきちんとした身なりでお参りに来てほしいですが、実は皆さんに心身共に清らかになってほしいのです。しかし、心身共に清らかで、雑念がなくて誠心誠意仏や菩薩を拝む人は少ないでしょう。心をこめて一心不乱に読経すると、菩薩がすべて感応できます。 

 この末法の時期において、すべての目標や修行の理念等は、現在でも過去でも一致していますが、人を救済する方法が変っているだけです。例えば、昔交通が不便だったころ、北京から上海まで行くには、歩くか馬車に乗るかでしたが、今は車や飛行機で行けます。目的地は変りませんが、使っている交通手段が違うだけです。修行は是非天の時に応じて変るもので、高僧や大徳のある大師、大徳のある先生なら、菩薩が彼らに感応力を授けて、今時に相応しい修行法を伝授します。ちょうど太虚大師と星雲法師が提唱した「人間らしい仏教」のようです。  人間として是非純粋な心で、雑念を持たないことです。もし誰かと意見交換をしようとして、頭の中に雑念が沢山あったら、意思疎通ができなくなります。この世の中で他人は皆愚かだと思わないでください。巧妙に人を騙そうとするなら、かえって愚かです。今時の人は誰でも賢くて、中には高潔な人もいます。幾世の輪廻によって、生まれてきた子供が皆聡明なのは、前世で修行したからです。 

 次は「懺悔」について話します。なぜ皆さんに悔い改めさせるのでしょう。なぜ悔い改めたら悪業が消せるのでしょう。以前ラジオ番組でよく話しましたが、悪業を消したいなら、まずお経を読んで悪業を活性化させて霊に変え、それから「小房子」(お経のセット)を読んで済度します。今観世音菩薩からいただいた新しい方法があって、『礼仏大懺悔文』を18回読むと、直接小さな悪業が消せます。けれども、普段日課のお経を読まないで、直接『礼仏大懺悔文』だけ読んでも効果がないので、必ず『大悲呪』と『心経』をベースにすることです。『礼仏大懺悔文』を読む前に、まず「大慈大悲観世音菩薩様、私○○○をお守りください。私○○○を助けて今まで生活の中で犯した罪業を消してください。或いは体の病気のある部位の罪業を消してください」とお願いします。『礼仏大懺悔文』を読み終わるとそれが功徳になり、この功徳で小さな罪業が消せます。もし罪業が活性化して霊になった場合、その罪業が深くて大きいから、『礼仏大懺悔文』を読んでも消せないだけでなく、活性化します。ですから「小房子」(お経のセット)を読んで済度する必要があるのです。この過程は苦痛を伴うものです。観世音菩薩が慈悲で、苦痛にさいなまれないように、『礼仏大懺悔文』を読ませ、小さな罪業が霊にならないうちに消してくださいます。このお経は本当に素晴らしくて天地のオーラにつながっています。 私たちは本当に恵まれていて,いつでも菩薩の庇護が得られます。良く知られていますが、我々オリエンタル放送局の観音堂の菩薩はとても霊験あらたかな印が沢山寄せられていて、本当に喜ばしいことですが、胸が痛いことがまだ多くて、今になっても信じない人、迷っている人が沢山いて、中には自分が「正道」だと思い込んでいる人もいるので、この人たちを哀れに思います。沢山の人が皆さんと同様で、昔はあちこち探し回って、良く修行できるように正しい法門を探し求めてきました。けれども、これは天の時、地の利、人の和が揃って、機が熟さないと、その時が来るまで見つかりません。例を挙げましょう:昔肺がんは治らない病気でしたが、実は良い方法がなかったからだけで、治療薬が存在しないというわけでもなく、時間が経つにつれて科学の進歩によって、がんの治療薬が開発されたのです。なぜ現在では肺がんがコントロールできるのに、昔なら肺がんは不治の病とされたのでしょう。これがつまりチャンスがあって、機縁があるからです。 「悔い」とは今までの行いを改めることです。「懺悔」によって今まで自分が犯した罪業を消すことです。「懺悔」はつまり自分が犯したすべての罪を告白することです。(西洋の多くの宗教では牧師に自分の罪を告白します)我々は神ではなく凡人なので、人に言えないことが多いですが、すべてが菩薩に話せます。是非口に出して、口に出さないのはいけないことです。告白もいくつかの方法があって、一つは心の中で話すこと、もう一つは声を出して話すことです。更にもう一つの方法として、心と声の両方使うことで、更に効果的です。

  懺悔には二通りあります。一つは事柄の懺悔で、もう一つは心の中からの懺悔です。事柄の懺悔は、シャワーを浴びて、菩薩の前に来て、誠心誠意懺悔します。自分の懺悔の気持ちと懺悔したいことを全部菩薩に話します。まるで自分の内心をさらけだして懺悔しているようにします。事柄の懺悔は、実は外面的な変化であって、ある表面上の形式での懺悔です。内面的な懺悔は、心から懺悔することです。『般若心経』の「照见五蕴皆空(五蘊みな空なるを照見す)」という状態を感じ取ってください。五蘊とは色・受・想・行・識のことで、この五蘊を心の底から空にすると、罪業が無くなるのです。「照见五蕴皆空(五蘊みな空なるを照見す)」とは、まず自分自身を感じ取って照らされて空になるのを感じて、自分の心の中から悪業を取り除いてください。自分の心に前世や現世において全て照らされて空になって、人間道で罪業がすでになくなったのです。これが内面的な懺悔というものです。  「五蕴皆空(五蘊みな空なり)」は心の中を完全に空の状態に掘り下げ、心の中で自分の悪魔や自分の罪業を克服することで、これはかなり高尚な懺悔のやり方です。理念から解脱すると、心はおのずから解脱するのです。反対に、心が境遇に左右されると、人は苦しみます。ですから、どんな変化にも変わらぬ心で対応できるように心がけます。実は、これは理念の問題です。  どんな変化にも変わらぬ心を持つことです。ある高僧が「手のひらがありますね。指はつまり法門で、分かれて出ていてもまた手のひらに戻りますよ。」と言いました。つまり、すべての教えは一つに帰するということで、こういう智慧の言葉を覚えましょう。人は境遇に左右されたら、ひどく苦しみますが、この苦しみは自分が作り出したもので、信念がしっかりしていないから、そうなったのです。すべての罪業や誠心誠意はみんな妄想から生まれてくるもので、何かにふける心があると妄想が生まれ、妄想があるとたくさん過ちを犯し、多くの罪業を造り出すことになるから、結局妄想はすべての悪の根源なのです。妄想によって問題は解決できないばかりか、悪を生み出すだけになることを分かってほしいです。 

 「念佛一声能滅八十億劫生死重罪(念仏の一声は八十億劫の生死の重罪を消すことができる)」と言われていますが、どうしてでしょうか。それは、心で、つまり真心で読経をすることで、心の中で何を読むのか考えるからです。例えば、今日罪を犯したら、『礼仏大懺悔文』を読んで、誠心誠意懺悔するとその罪が消せます。もし小さな動物を殺してしまったら、誠心誠意『往生呪』を読んでやって、その動物を済度すると、あなたの罪が消せるのです。  つまり心をこめることが大切で、内容についてはまた別問題です。菩薩の前でちょっと念じたら八十億劫の重罪が消せるとは思わないでください。私は仏法の理論で皆さんが直面する問題を理解して体得し、心底から宇宙や人生に対する正しい見方や考え方を理解してもらいたいのです。