前文で「共業」に言及しましたが、共業とは大勢の人の同じ悪因による悪報のことです。その良い例はいまだに水面下で進んでいて話題になっている地球温暖化のことです。具体的に誰がその責任を取るべきか言えませんが。我々殆どの人間が一部の責任を負うべきです。悪因が既に播かれてあります。自動車と工場の排気ガス、過度な森林伐採などなど、全てはこの大因果のうちの因になります。同じように因果定則と天理によって、その悪果が自動的に配列され、将来の然るべき時期に報いとして現れます。

 悪因が播かれると、ずっと潜伏状態で影響が出ないというわけではなく、天の時と地の利に影響し、累積しつつ、報いの時期になると爆発するようになっています。現在、人類は既に温暖化がもたらした変化に気付いたのです。気温の上昇、悪天候、氷河の解け、オゾン層の空洞などが悪因の累積です。その悪報といえば、今予測できるのは海の水面の上昇、陸地の減少、海辺の都市の水浸しなど、人類の損失は予測できません。

 以上のような大規模な天災が起こる時、悪の果報はどんな人の身に降りかかるのでしょうか。天災で遭難された人達はみんな共業の果報を受ける運命にあるのでしょうか。実は、そんな天災の遭難者全てが災難に遭う運命にあるとはかぎりません。元の運命にはより長い寿命、より多くの福報または業を現世に配列されて、持っている人が数多くいるのです。しかし、そんな人たちには一つの共通点があるのです。即ちその人の運命の特定の時期には一つの劫があることです。その劫とは割と大きな業障が集中的に爆発することで、(蘆先生が見た)トーテムでは広範囲で高濃度の黒い気として現れます。共業による悪果の現れは外部環境の黒い気で、天災は共業が熟し爆発しそうな状態です。非常に濃くて非常に広い範囲を覆う黒い気として現れます。その際に劫のある運命にあって、濃くて黒い気を持った人がいて、災難が起こる地にいれば、または何かの原因でその地に行けば、「定められた災禍から逃げられない」ことになるのです。

 しかし、十分な福報または功徳を持った人なら、劫に遭う運命にあっても、劫の地にいても、生き残る可能性があるのです。あるいは、既に飛行機のチケットを取った人なのに、何かの原因で行き損なって、劫の地を回避できる人がいるのです。もちろん、そんな人間地獄のような惨事を経験することは、共業による自体普通ならぬ苦痛です。

 天災の際、寿命が尽きていなくて、死にいたるべきではない劫にあるが、共業のせいで窮地から抜け出せない人がいます。そういう人たちは冥府に行っても、地の律によって収められることができません。それで、寿命が尽きるまで人間道を漂う霊にならざるを得ないことになります。天災地や戦場にはそんな霊がたくさんあります。いうまでもなくそれはものすごく可哀そうな境地です。陰の力が陽の力によって包み込まれて、行ける場所が極限られていて、自分のエネルギーが消滅しつつあるだけです。時期が来て冥府に受けられたとしても、自分のパワーが非常に弱くなってしまっています。あるいは、それを待っている過程で何かの怨恨の積み重ねで別の方向に落ちてしまうかもしれません。だから、その家族としては可能な限り、早く済度して解脱させなければなりません。

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